巷では「毒親育ちというだけで人生終了」なんて声も聞かれるそうですが、私は「諦めたら試合終了」という安西先生を信じます。こんにちは、どぶのごみ子です。
しかし、希望的観測も込めて人生終了とまでは思わないものの、毒親育ちには少し残念な「あるあるの言動」が存在することは認めざるを得ません。
ということで今回は『毒親育ちあるある』がテーマです。
ついでに、少々残念な特徴を持ちつつ穏やかに生きていくにはどうすればいいのかも考えます。
毒親とは?あるあるな特徴
毒親に明確な定義はないそうですが「こういう親を持つと子供は歪みやすいんだな」というのは肌感覚で理解しているつもりです。
「こういう親」とは
- 干渉しまくって管理する親
- 健康や衣食住を確保しない親
- 行動や存在を否定する親
- 暴力や暴言が日常茶飯事な親
- 罪悪感を植え付けてくる親
などが最たる例です。どの親ももれなく嫌ですね。
なお、わが家は放置+攻撃型だったので2~5に該当します。
毒親育ちあるある12選
ここからは、毒親に育てられた人間に見られる「残念なあるある言動」を紹介します。
可能な限り、自分以外の毒親育ちにも見られる特徴を選びました。
自己肯定感は地の底
毒親育ちの自己肯定感は、超絶低めがデフォルト仕様。
毒親育ちは、親から貶されることはあっても褒められることがほとんどない幼少期を過ごすので、自己肯定感なんて育つ前からへし折られています。
そのため、いくつになっても自分を認められませんし、何を成し遂げても自分に自信がないまま。
自分を尊重しようという考えが薄いので、主義主張を通すことも少ないです。
「役に立たないと居場所がない」と思っている
仕事も恋愛も人付き合いも、とにかく相手にメリットを提供しようとするのは毒親育ちあるある。
これは、単純に相手を喜ばせたいからではなく「何か役に立たないと居場所がなくなる」と思い込んでいるからです。
「無償の愛」を信じていない毒親育ちは、優しくされたり愛されたりするのには必ず「明確な理由」が必要だと考えています。
そのため、誰も何も要求していないのに「いい結果をもたらさないと」という強迫観念で躍起になって、消耗することも多々。
空気を読む能力に長ける
毒親育ちは、相手の顔色や場の空気を読んだりする能力がピカイチ。
表情や仕草、場の空気感から毒親の機嫌がわかれば、機嫌に合わせてうまく立ち回り傷つけられることを回避できるので、毒親は幼いころから場の空気をうかがいまくります。
その結果、気づけば空気を読む天才へと成長していることでしょう。
空気が読めるのは長所でもありますが、毒親育ちの場合は自分の意思をねじ曲げてでも読んだ空気に合わせようとするため、疲れてしまうこともあります。
親切にされるとオロオロする
褒められる、お礼を言われる、心配されるなど、人から親切にされるのが苦手なのは毒親育ちあるある。
毒親育ちは肉親からですら「無条件の優しさ」を感じられなかったのです。
そんな人間にとって、他人から施される「ただの親切」ほど怖いものはありません。
「何か裏があるのでは」と変に勘ぐってしまったり、裏がないとは思えても嬉しいとかありがたいよりも「申し訳ない」という気持ちが先行したりと、対応に困って挙動不審になります。
「親御さんは?」と聞かれたくない
「親御さんは?」という質問は毒親育ちにとって超難問。
正直に「連絡していません」「嫌いです」と答えれば親不孝者あるいはすんげえ哀れな奴として扱われ、かといって「元気にしてますよ」「仲良しですよ」と嘘をつけば何となく心がチクチクするという、まさに最強に答えにくい質問だからです。
ちなみにそれに付随して、幼少期の家庭エピソードとかも振られると困ります。
ですが私は、いちいち場を凍らせるのもその後の対処が面倒なので、結構嘘をつく派です。
警戒心が強く心を開かない
一見友好的に見えても、毒親育ちの警戒心は小動物並みに強いです。
そして、警戒心が強いからこそなかなか他人に心を開かないのも、毒親育ちあるある。
正確には「警戒心が強く心を開かない」というよりも、子供の頃から安心できる場所がなく「警戒心の弱め方も心の開き方も知らない」といったほうが正解かもしれません。
しかし反対に、一度警戒を解いた相手に対しては、とことん信用して依存してしまう人もいるからこれもまた難儀です。
毒親育ち同士でつるみがち
毒親育ちは、自分と似た境遇の毒親育ちと仲良くしがち。
だって、毒親育ち同士であれば相手のことを羨ましく思わずに済むし、家族の話も気兼ねなくできるし、わりかし冷めた価値観も合うから。
お互いに毒親育ちだと明かさず交流を持って、なんか気が合うな?と思ったら実は毒親育ち同士だった、なんてこともしょっちゅうです。
あとはお互いに「相手には頼れる肉親がいない」と思っているので、謎の助け合い精神も生まれる気がします。
結婚出産に対する考え方が極端
毒親育ちあるあるには、結婚や子育てに対する考え方が偏っていることも挙げられます。
「時期がきていい縁があれば…」のような、ふわっとした結婚観を持つ毒親育ちはあまり多くありません。
毒親育ちのほとんどが家庭に何の夢も見いだせず「絶対に結婚したくない」と言ったり、はたまた夢見た家庭を実現させたい一心で相手もいないのに「今すぐにでも結婚して子育てしたい」と言ったり、なんていうか結婚や出産に対する考え方が極端なのです。
それでも別に本人が幸せなら問題ないのですが、考えに固執しすぎて良縁を逃して後悔したり、勢いだけでとんだクズと結婚して後悔したりすることも多いから厄介。
親子愛がテーマの作品とか吐きそう
吐きそうまでの嫌悪感は持たないにしても、毒親育ちは親子愛がテーマの作品に触れても心に響きにくいのではないでしょうか。
親子愛を描いたCMとか、父の日・母の日ギフトとかを見かけると「世の中には仲良しの親子もいるんだな」とは思うのですが、どうにも自分にとっては現実味がなくゾワゾワするので、共感したり感動したりすることはまずありません。
ちなみに私は子どもの頃、学校から「ハッピーバースデー(家族愛や命の大切さがテーマの本)で読書感想文を書きなさい」という課題を出され、読んでいる途中でガチでゲロりました。そして素直に「気持ち悪い話だと思いました」と感想文を書いたらめちゃくちゃ直されました。なんでやねん。
よく恋愛でつまずく
これも毒親育ちあるあるとしてよく語られますが、毒親育ちは恋愛で失敗しがちです。
- 恋人を心から信頼できずギクシャクしたり
- 依存心からメンヘラ化やヤンデレ化したり
- 恋人をギッチギチに束縛して嫌われたり
- 恋人の顔色をうかがいすぎて奴隷化したり
- 「絶対付き合っちゃダメだろ」みたいな相手ばかり選んだり…
とまあ、泥水みたいな恋愛をよくします。
そもそも、肉親とですら絆を感じられなかった人間が、何の血のつながりもない赤の他人と簡単に絆を結べるわけもなく…。
定期的にフラッシュバックが起こる
たとえ毒親から離れたとしても、定期的に毒親から受けた言葉や暴力を思い出して、つらい気持ちになるのも毒親あるある。
一度フラッシュバックが起こると、しばらくの間まるで幼少期に戻ったかのように毒親のことが頭から離れなくなりぐったりします。
「メンタルが強い」と思われることも
正直なところ、メンタルが強い毒親育ちにあまり出会ったことがありません。
ですが、毒親育ちは身の回りで起こる「プチ事件」みたいなものに、ほとんど顔色を変えず冷静に対応できるので、周囲からはメンタルが強いと思われやすいです。
つらいことや悲しいこと、めんどくさいことは、もちろん毒親育ちも「嫌だな」と感じています。
ですが、そのような「普通に生きてれば定期的に起こるレベルの嫌な出来事」は「毒親を持つこと」に比べれば全然嫌じゃありません。
嫌なことなんて本来は比較するものではありませんが、心は勝手に比較して大抵の嫌な出来事に対し「なんだ、この程度か」と思ってしまうから、毒親育ちは気づくと“何にも動じないメンタル強いキャラ”に収まりがちです。
毒親育ちが平和に生きるためにやるべきこと
”生きにくい”と評されるのも毒親育ちあるあるですが「自分が生きにくいのは全部毒親のせい」と思ったところで心は晴れないでしょう。
また、こんな世の中では育ちに関係なく「生きやすい!毎日ハッピー!」なんて人のほうが珍しいですし、結局は誰しも命ある限り生きるしかありません。
しかしどうせ生きるなら、可能な限りつらい思いをすることなく生きていきたいので、できることを探します。
毒親から離れる
できるだけすみやかに毒親から離れるのは、毒親育ちが穏やかに生きる第一歩。
同居をやめて引っ越すのが一番ですが、今すぐ行動できない場合はできるだけ家にいる時間を減らしましょう。
残念な毒親育ちあるあるは、毒親と一緒に過ごす時間が長ければ長いほど、色濃く表れるようになります。
つらい時間が蓄積するほど、人間性が歪むリスクが高くなるので当然ですね。
罪悪感を植え付けられている系毒親育ちは「親がかわいそうだから」「親に申し訳ないから」という理由で離れるのをためらいがちですが、その罪悪感こそ毒親にコントロールされている証拠だと気づいて離れてください。
たくさんの人と出会う
毒親から物理的に距離を取ったら出会いが増えるので、たくさん人間観察をしましょう。
別に、無理して合コンにいけとか、SNSで何らかのコミュニティに入れとか、そういう話ではありません。
家を出る場合は働いてお金を稼ぐしかないため職場の人と交流しますし、家にいる時間を減らす場合も外に出る時間が増えるので、自然と人と触れ合う機会が増えるはず。そんな出会いで十分です。
そうすると、たまーーーにではありますが、すごく親切な人とか愛情深い人とか優しい人とかに出会えることがあります。
このような親切な人ズは、毒親育ちの「人間なんて全員冷たくてクソなんだ」みたいな誤った思い込みを正してくれる存在です。
仲良くなれなくてもいいので、思いやりのある人間がいることを知って、毒親によって狭められた視野を広げてください。
あきらめる
毒親と離れて視野が広がれば、かなり世界が違って見えて心も成長し、少しだけ生きるのが楽しくなるはずです。
ですが、それでも完全には毒親育ちの残念な特徴からは脱却できませんし、たまには気持ちが沈んだり、毒親に対して複雑な気持ちを抱いたりすることがあるでしょう。
あきらめてください。
「そういうもの」だと割り切れたり「毒親もつらかったのかも」と受け入れたりできれば、さらに気持ちは楽になるのかもしれませんが、あいにく私はそんなに立派じゃありません。
宿命なんて言葉じゃ腑に落ちないし、未熟さが人を傷つけていい理由にはならないし、折れた心は時間が過ぎるだけじゃ完全には修復されないと思います。
ですが、いつまでも割り切れない・受け入れられない・許せないという「ない気持ち」を持て余していても心が疲れてしまうので「あきらめる」ことにしました。
あきらめると、希望を失う代わりに今以上の失望もしなくなります。
今から人生をやり直すことはできないのですから、苦しさの根本的解決なんてありません。
苦しいときは、あきらめて、耐えて、やり過ごしてください。
毒親育ちあるあるまとめ
久しぶりの毒親回でした。
私の場合、毒親を思い出すことなんて普段ほとんどないのに、ある日急に夢に出てきて一度飛び起きると、そこからしばらくフラッシュバックが続きます。
寝直すどころかもういっそ永眠したい心持ちです。
しかし、だからといって死ぬ勇気もないので、少しでも楽しく、かつラクに生きられるよう自分なりに工夫して息をしようと思います。
同じような境遇で育った人も、できればこれからはたくさん笑ってほしいです。
んじゃまた。