「出来損ないの自分」がつらい人に伝えたい。原因と対処法

「出来損ないの自分」がつらい人に伝えたい。原因と対処法 生き方
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私は、自分のことを出来損ないだと思っています。

こんにちは、どぶのごみ子です。



私が自分のことを出来損ないだと思う理由は簡単で、他者にとって容易くこなせることが私にとっては難解だから。

例えば人付き合いとか、人付き合いとか、あとやっぱ人付き合いとかね。
加えて言うなら勉強も運動も芸術も労働も苦手です。


ただ、じゃあ自分が出来損ないでつらいかと問われれば、答えはNO。



とはいえ、かつては

  • 「クラスのなかで自分は1番の出来損ないだ」
  • 「転職ばかりしている自分は出来損ないだ」
  • 「この世でこんなに出来損ないなのは自分だけだ」

といった具合に、さも自分だけが出来損ないであるかのように思い込み、自分のことを嫌っては、自分で自分につらく当たっていました。



でも、よくよく考えれば人間なんて皆何かしら出来ないことがあり、悪い部分を抱えており、おしなべて出来損ないばかりです。



ということで今回のテーマは「出来損ないの自分がつらい人へ。原因と対処法知って楽に生きようよ」です。

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本当に出来損ないは自分だけなのか?

例えば、あなたは兄弟と比べて一番勉強ができないとします。
社会に出ても、仕事が出来るほうではないようです。
ついでに人の気持ちがわからず、ルックスも残念だったとしましょう。


これだけ短所が一堂に会したら自分は出来損ない、ううん、全人類の中でナンバー1、唯一無二の出来損ないだと思ってしまうのも頷けます。


でもそれは本当の話なんでしょうか。



じゃあ、私も同じようにやってみます。

私はクラスの中でもかなり勉強ができませんでした。
人間関係を構築するのが下手で、どこに属しても高確率であぶれます。
空気を読むという行為が苦手で、魚を連想させる顔がついています。


同じように短所を集めたら、私も見事な出来損ないになりました。


結局、悪いところだけを集めれば、人間は誰だって「出来損ないのひどい人」になり得ます。

本物の出来損ないは何も考えない

そもそも、何を持って出来損ないと言うのでしょう。


勉強さえ、仕事さえ、人間関係さえ、

たったそれだけを上手にこなせるようになれば、出来損ないは卒業できますか?



本当の出来損ないは自分の不出来を全て人のせいにして、自分は出来損ないかもしれないという考えにすら至らない人間です。


自分は出来損ないだと考えて、自分のことを嫌ったり、落ち込んだりする人は本当の出来損ないではありません。


自分の不出来を悔やんで、今後まだまだ伸びしろのある、至って普通の人間です。

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自分は出来損ないだと考える原因

自分は出来損ないだと考える原因

視野が狭い

出来損ないは自分だけだと気に病んでいる最中は、自分自身のできなかった事柄や失敗のみに目が向いてしまって、広い目で物事を捉えられていません。


視野が狭くなると、自分のやり方に固執して人の意見を聞けなかったり、自分のことを出来損ないだと思って落ち込んだまま、気持ちの切り替えがうまくできなくなったりします。

自己肯定感が低い

自分は出来損ないだ、と自分で自分を責めるのですから、当然自己肯定感は低くなります。


自己肯定感が低いから自分だけ出来損ないだと思うのか、自分だけ出来損ないだと思うから自己肯定感が低くなるのかは定かではありませんが、この2つが結び付くと新しいことに挑戦しようとしても「自分なんかがやってもうまくいくはずがない」と思い込み、失敗を恐れて本当の力を出し切れないこともしばしばです。

最初から結果を求める

最初から完璧な結果を求め、求めた結果が得られない人も、自分のことを出来損ないだと思いがちです。

誰だって最初は失敗をしたり結果が出なかったりするのが普通のことですが、最初から結果を求めると「思ったように結果が得られない。自分は出来損ないだ」と考えどんどん自分を追い詰めます。

出来損ないの自分がつらい時の対処法

出来損ないの自分が嫌いなときの対処法

確実にできることをやってみる

まずは一旦確実にできることをやって「自分にも出来損ないじゃない部分がある」と認識しましょう。


自分自身で「ちゃんとできた」と思えるものなら料理でも洗濯でもプラモデル作成でも、何でもOKです。


例え、日常的に行っている小さなことでも「出来損ないの自分にもできることがある」と気づくことで少しずつ気持ちを前向きにしてくれます。

人と自分を比較しない

そもそも自分だけが出来損ないであるという考え方は、自分と周囲の人とを比較することで発生するものです。

しかし、人と自分を比較しても得られるものは何もありません。


生まれ育った環境や経験、持って生まれた才能や性格など、何もかも違う他者と自分を比較しても、それは平等な比較ではないからです。

人と自分を比べる癖が抜ければ、自分のことを出来損ないだと感じる機会を減らせます。

人間なんて全員出来損ないだと開き直る

他者の粗探しをして安心しろとは言いませんが、私はもちろん、人間なんて誰しも全然万能じゃありません。

慣れてきたころにミスをするし、予測不可能な事態にはテンパるし、ちょっと無理をすればすぐに体調を崩すし、自然の力の前では無力なのが人間です。


完璧に見えるあの人にも、苦手なことやできないことはあります。


広い視野で人間の不出来さを確認できれば、「出来損ないなのは自分だけだ」という孤独感も薄まるでしょう。

好きにならなくてもいい。出来損ないの自分を認めよう

好きにならなくてもいい。出来損ないの自分を認めよう

とはいえ人間は誰でも、くさくさした気分の時には「出来損ないはこの世で自分だけだ」みたいな、しょぼくれた気持ちになるものです。


ただ、覚えていてほしいのが

自分のことを出来損ないだと考え、落ち込むような人は本当の出来損ないではないし、出来損ないなのが「自分だけ」なんてことは絶対にないということ。



人間なんて、どいつもこいつも出来損ないです。


周囲と同じだからいいというわけではありませんが、「自分だけが」と不要な孤独を感じる必要もありません。



出来損ないの部分は可能であれば改善したほうがいいが、無理であればいっそ諦めて出来損ないの自分を認めてあげるのも1つの方法だと思います。

出来ないことを認めたあとは、出来ることでリカバリーする方向にシフトできれば言うことなしです。


自分のことを出来損ないだと嫌ったところで、出来ないことが出来るようになるわけではありません。

出来ないことの1つや2つあったって、いいじゃないですか。人間だもの。ごみお。


んじゃまた。

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