誰からも愛される「人気者おばさん」になりたいわけではないのですが、私は可能な限り「他人に害の少ない人間」として死んでいきたい。こんにちは、どぶのごみ子です。
人間は年を取ると性格が悪くなる、わがままになる、偏屈になる…なんて噂はかねてよりあちこちで聞かれましたが、その真偽は当然人によるでしょう。
でも私は、できれば今以上に性格を悪くしたくありません。
ということで今回のテーマは「年を取ると性格が悪くなるっていうけど、これ以上はもう勘弁だぜ!」です。
年を取って性格が悪くなる理由
「何で年を取ると性格が悪くなるのかなあ」は、かつて私も抱いた疑問です。
長年ぼんやり考え続けて、少しずつ理由のシルエットが見えてきた気がします。
感情が制御できなくなるから
年を取ると性格が悪くなるのは、いささか仕方のないことでもあります。
だって年を取ると、本人の意思に関係なく感情が制御しにくくなるんだから。
人間の脳は体同様少しずつ老化を辿るので、年を取ることで理性を司る脳みその機能が低下し感情的になることがあるそう。
そうつまり、誰でも年を取るにつれ脳がバカになって、本人が持つ本来の人間性がまざまざと露呈する可能性が高いよって話です。
だから「年を取ると性格が悪くなる」というのは実は正しい表現ではなく「年を取ると隠していた性格の悪さが明るみに出る」というのが正しいのかもしれません。
物事の理解力が落ちるから
感情コントロール能力だけでなく物事の理解力も落ち「わからないもの」が増えることも、年を取ると性格が悪くなる理由だと思います。
人間は誰しも実態が掴めないものには恐怖や不安を感じ、攻撃的になるものです。
私はかつて携帯ショップのお姉さんでしたが「スマホの使い方がわからない」「新プランがわからない」というお客様は、老若男女問わず来店されました。
しかしそこで「わからないわからない!」と騒ぎ立て最終的に「そうか、お前の説明が悪いんだ!」とびっくりな位置に思考が着地し怒り出すのは、若い人よりもお年寄りが多かった気がします。(本当に説明の仕方が悪かったならすまねえな!)
このような経験を経て、理解力が落ちてるところに感情コントロール能力まで鈍ることで、年を取ると性格が悪くなるという状態が完成するのかもしれないと考えています。
マイナスな経験値が蓄積するから
若かりし日の私は性格の悪い大人と出会うたび「年取ってんのにそんな性格しか育たなかったの?長生きしたぶんの経験値とやらはゴミか?」と苛立ちましたが、この解釈はあながち間違っていなかったと思います。
時として、重ねた経験値は手垢のようにべったり心にこびり付き、性格を悪く育てるからです。
もちろん経験から素晴らしい人間性を育てる人も大勢いますが、中には
- 成功した経験から「成功者の自分はいつでも正しい」と横柄になったり
- 誰かに意地悪された経験から「やられる前にやろう」と攻撃的になったり
- クレームを言ってわがままが通った経験から「同じやり方でおっけー」と常連クレーマーになったり
する人もいます。
人間は他の生物よりも知能や記憶力が高く、歴史や経験から学びを得て未来に生かす能力だって優れているはずなのに、頭の中を一周してちょっとイカれた経験値は人間をプラスに成長させません。
誰も注意してくれないから
年を取れば取るほど自分に意見してくれる他人は減るので、大人は自らが希望すれば好きなだけ性根を腐らせることができます。
そして、この事実を喜ばしいものとして受け入れ、好き勝手振る舞う人が多いことも、年を取ると性格が悪くなるといわれる理由ではないでしょうか。
世間では叱られる工程を通り過ぎた人間のことを大人と呼ぶので、年を取って性格の悪い言動を取っても、憐れまれることはあれどなかなか注意してはもらえません。
ですが周囲は「諦め」や「蔑み」といった感情を「理性」という優しさのオブラートに包んで対応してくれているだけで、年を取って何もかも弱った挙句性格まで悪い人間を許容しているわけでは決してないのです。
年は取るけど性格は悪くなりたくない、私の老いぼれ論
私は現在31歳ですが、人生100年時代なんて空恐ろしいキーワードが聞こえてくる現代じゃ、まだまだ年寄り下級生といえるでしょう。
そんな時分から年を取ったときの性格について考えるの?と思う方もいるかもしれません。
ですが年老いて露呈する危険性があるのなら、早いうちから性格を整えたほうが絶対いい。
歯の矯正だって幼少期に済ませたほうが歯の動きが良くて楽と聞きますし、歯も性格も人間のパーツの一つと考えればそれほど大差ありません。
ということでここからは「最も若い今日の私がゆくゆくの私に託したい、年を取りながら意識してほしいこと」を備忘録がわりに書いておきます。
私から私に書くのでどこにも需要はないかもしれませんが、とにかく心して読めいつかの私。
自分を大人だと過信しない
自分を「もう大人だから」と過信して、あらゆる能力があると勘違いしないようにしましょう。
立派なのも、頼りになるのも、有能なのも、年を取ったからそうなるのではなく、個人の能力が高いことが理由です。
そもそもあなたは「世間一般の大人」として見るとかなり無能なほうであり、そんな人間が自分の能力を見誤れば、結局自分で自分の首を絞める未来が待っています。
「大人の自覚」を意識するのは大いに結構ですが「歪んだプライド」と紙一重なところがあるので、わからないことは教えを乞うて、失敗すれば頭を下げて、興味を持ったものには食らいついて、自分の取り扱いには気をつけてください。
年下の年齢は気にしない
年を取ることで年下の人と交流を持つ機会も増えると思いますが、相手の年齢はあまり気にしないでおきましょう。
あなたは過去に「相手の年齢」だけに注目して、やっかんだり侮ったり偉ぶったり面倒事を押し付けたりする年寄りと出会いませんでしたか?出会いましたね?
少し思い出せばすぐにわかってくれると信じていますが、たかだか「生きた年数」だけで相手を測るのは性格が悪く醜い行為です。
どちらが先に生まれたかの違いだけで、結局ただの人間に過ぎません。
生きた年数に囚われず、対等な人間として他人と接してください。
親しくない人は受け止める
あなたは職場での人付き合いや、顔見知り程度の人間と交わす世間話を面倒に感じるタイプですが、そこはもう凄腕キャッチャーにでもなったつもりで相手を受け止め、適当にやり過ごしてください。
相手から投げられたコミュニケーションのボールを無視したり、剛速球をぶつけるのはトラブルの元。
よって、どんな話題でも振られたら一旦は「そうなんですね」とへらへら受け止めましょう。
気分が乗れば受け取ったボールを自分の中に受け入れてみたり、自分もボールを投げ返してみたりすればいいですし、自分では許容できない話題のボールなら受け止めた後でこっそり物陰にでも置き去ればいいです。
そうでなくても1日生きるごとに1日減っていく命ですので、どうでもいい他人と揉め事を起こして時間を無駄遣いしないでください。
捨てられない牙は隠し持つ
「年を取っても性格は悪くなりたくない」「できるだけ優しく死にたい」と考える私には、案外いい人の一面があると思っています。
しかし、もともと私には「性格がいい人間」の素質がなく、生まれ持った器は軽量コンパクト設計なので、いくら年を取っても聖人のような度量は育ちません。
だから仕方がないので、その牙はこっそり隠し持っておきましょう。
「良い人にならなきゃ」と力ずくで牙を引っこ抜いても、何だかどうせまたすぐ生えてくる気がします。
ただし、年を取るにつれ他人に牙を剥く機会が増えるようなら、それは「怒りっぽくなる」という性格悪化のサインである可能性が高いので、意を決してへし折ってください。
諦めない
たまに「この年じゃもう性格なんて直らねえんだ!」と開き直っている大人がいますが、そのセリフはまじで試合終了のゴングも同然です。カンカンカーン。
自分で自分を諦めるとできることもできなくなるので、何でも簡単に諦めないでください。
性格が悪くなるのは確かに「年のせい」でもあるでしょうが、面倒事の全てを「年だけのせい」にして諦める人間は可愛げがなくていけませんね。
シワを伸ばしたい、白髪を隠したい、若々しく見られたい…みたいな気持ちもわかりますが、そこんとこ抗うなら精神面も抗ってどうぞ。
また同様に、年を取っているからという理由で「したほうがいいと思うこと」「やってみたいこと」を諦めるのはナンセンスです。
もちろん「したほうがいいと思うこと」の中には、やりたくないこともあるでしょう。
ですが、したほうがいいと分かっているなら頑張ってくださいね。たとえば、生きることとか。
年を取ると性格が悪くなるって
可能性の話に過ぎませんが、可能性があるだけすげー怖いですよね。
年を取るとともに体が悪くなることももちろん怖いのですが、性格を悪くしたほうが他人に与える傷や迷惑が大きく不安もひとしおです。
しかし、年を取らないのは生き物である以上無理な話ですし、年を取らなければ死ぬこともできません。
年を取って性格が悪くなるのは、自分じゃどうしようもないことが原因の場合もあるものの「あいつ性格悪いよな」と周囲の神経を逆なでする存在にだけはならないよう、コツコツ自分を見つめ直せる人間でいたいです。
どうか地道に年老いていけますよう。
んじゃまた。