絶縁してた毒親と約10年ぶりに再会した話

絶縁してた毒親と約10年ぶりに再会した話雑記

親の前じゃ誰もがベイビー。こんにちは、どぶのごみ子です。


私事かつ突然ではございますが、少し前「オバアチャンとやら」が亡くなりました。


それに伴い、10年以上絶縁していた毒親と再会してみました。

ちなみに毒親と絶縁する話はこれ。

【絶縁して早10年】毒親は「絶縁」が正解
昔母親に空のビールケースで頭をかち割られてまじで「あ。今日は私の命日だ。」と思...


実は今回、再会する直前まで「絶縁してから時も経ってるし、会えば普通っぽく振る舞えるだろう」なんて考えていたのです。


しかし現実はとんでもありませんね。


毒親の顔を見た瞬間、一緒に暮らしていた頃の記憶や感覚が俄然アイムホームして、ピッチピチの憎しみがわきました。

また、毒親といえどお葬式で色々バタバタし大変そうにしている人間を横目に、心の中で躊躇なく中指を立てられる自分の性根にも何だか疲れました。ああパトラッシュ…。


ということで今回は「オバアチャンって誰だよ!私のばーちゃんならとっくに死んだよ!」という日記です。

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毒親育ちな私のざっくりした家族遍歴

毒親育ちな私のざっくりした家族遍歴

これまでのブログで家族遍歴について話す必要はありませんでしたし、この手の話はだいたい「同族」以外に知られればただ可哀想な奴認定されて癪だったので避けていました。

しかし、今回の日記は私の経歴を知っていた方が伝わりやすそうだったので、恥を忍んで私の家族遍歴をお伝えしましょう。

長文にすると色々アレだったので、ざっくりいきます。

  • 0~5歳:あんまり記憶がない。ママとパパは喧嘩ばかり。弟ができる。

  • 5~14歳:今までのパパがいなくなり次々に新しいパパができる。よく親からボコボコにされる。

  • 14~17歳:すったもんだで教護院にぶち込まれる。疑似家族ができるが所詮疑似。

  • 17~18歳:施設を出て3ヵ月ほど実家で借りぐらし。高校卒業と同時に家を出て二度と帰らず。

簡単に言うと親は殴るから嫌いで、疑似体験で家族を学ぶものの身につかず、弟だけは大切に思っている、です。

だからオバアチャンと私は赤の他人

だからオバアチャンと私は赤の他人

さて今回、毒親と再会する機会を作ってくれたオバアチャン。


しかし今回亡くなったオバアチャンは「母親の再婚相手の母」なので、私と血縁関係はありません。


何なら会うのも初めてであり、もはや誰これ状態。

よって、もちろん生前に「おばあちゃん」と呼び慕ったことはありませんが、今回お葬式の会場についてふらふらしていると「オバアチャン(の死体)に挨拶して!」と親から言われたため、オバアチャンと呼ぶことにしました。


そんなオバアチャンと私の関係性ですので、残念ながら亡くなっても特に何も思わず。

「よく知らない誰かが亡くなりその死を悼む人がいる」という、目の前で起こっている出来事は理解できても、相手がよく知らない誰かである以上その出来事の登場キャストに私の名前はありません。


それどころか、式中はぶっちゃけ死んだ知らない老女なんかより、かつて自分を半殺しにした親に意識が全集中しました。まじ呪の呼吸。



「葬式に来いって、親から会社に電話がかかってきた」

と弟が連絡してきたので(弟も親と絶縁しているため会社に連絡が来たらしい)2人してテンパってお葬式に出席しましたが、式中100回は「なぜ欠席するということを思いつかなかったんだ…」と自分の頭の悪さを呪いました。

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毒親と10年ぶりに再会してみて

毒親と10年ぶりに再会してみて

といっても、いくら後悔しても後の祭りで、既に毒親とは再会してしまったのです。

今回、約10年ぶりに毒親と再会し、興味深かったことや気づいたことがあったので、書いておこうと思います。

毒親は私が娘だと気づかなかった

お葬式の会場についてすぐ私は「えーと、〇〇さん(今の父)の親族の方でしょうか?」と血の繋がった母親から声をかけられました。


てめーの娘だろーが!ばーーーか!!!


と叫び風車式バックブリーカーをお見舞いしたい衝動に駆られましたが、ぐっと堪え笑顔で「ええ、そうです」と返してみたところ、母親からビビるほど丁寧に接してもらえて戦慄しました。

私が母親に絡まれていると勘違いした弟が、助けるために私の名前を呼んでしまったため、わりとすぐに娘だとバレてしまいましたが。(どぶの家は姉弟でも普通に呼び捨て)


10年も絶縁すると、いくら親でも自分の娘がわからなくなるようです。


家を出た約10年前と今とでは、メイクや髪形がガラリと変わっていたせいもあるでしょうが、毒親から親切にされる体験はなかなか興味深かったです。

今でも私は毒親が憎かった

毒親と絶縁して10年以上経ち、自分は少しだけ成長したような気がしていました。

子どもの頃は誰かに家族の話題を振られただけで、困ったり悲しくなったり腹が立ったりしましたが、今じゃすっかりホラ吹きが板について、スラスラ嘘の家族エピソードを披露できるようになったことも勘違いを助長させた理由でしょう。本当はただ嘘つきになっただけなのにねえ。


親を許す気持ちは1ミリも育っていなかったし育てる気もありませんでしたが、それは「かつて憎かった」ことが原因であり、そこに新しく憎しみが上書きされることはないと思っていたのです。


しかし再会してみればちっともさっぱり。

母親の声が聞こえるだけで「よくも散々罵ってくれたな」と新しい憎しみがわき、実母を亡くして涙を流す父親を前にしても「お前は泣いてる私を殴って骨まで折ってくれたじゃないか」と新鮮な気持ちで憎みました。


結局私は特に成長もせず、あいもかわらず自分の親が大嫌いでした。


きっと私は、成長し家族にコンプレックスのない「理想の自分」を「本当の自分」だと思いたかっただけなんだと思います。

再会したあとしばらく心が死んだ

お葬式という場で慌ただしかったこと、私が接触を避けまくったことにより、今回再会したものの毒親とは大した話をしていません。

しかしオバアチャンの葬式という名のトラウマホイホイに見事キャッチされた私は、再会後しばらくの間、毎晩のように悪夢にうなされ心が死にました。


いつでもどこでも眠れることが取り柄で、ディズニーランドのベンチで惰眠をむさぼり一緒に行った人を呆れさせた実績を持つこの私が、まさかの連日3時間睡眠。


毒親と離れたばかりの若い私なら毒親を憎むことで救われていましたが、そこから15年近く経った中年の私はそろそろ憎むのにも疲れています。


ただ「疲れたから今日から親のこと好きになるわ」と今さらキャラ変するわけにもいかず、私は今日もすこぶる晴れやかな気持ちで毒親のことが嫌いだから難儀です。

毒親と再会するのは、またいつかの葬式でいいや

毒親と再会するのは、またいつかの葬式でいいや

と思います。というかもう親本人の葬式でもいい。

約10年ぶりに毒親と再会して、私は今もひどく怒ったままなのだということがよくわかりました。

最近は「親ガチャ」なんて言葉がホットワードなようですが、叶うなら私だってリセマラしてえよ。のーうぇい!


人によっては、私のことを親不孝者で大人げない、ろくでもない人間だと思うかもしれません。

あるいはかつて散々言われた「キミガソウナッタノハキミノセイジャナイヨ」という言葉で、同情を寄せてくれる人もいるのかもしれませんね。


別に何でもいいです。


私のブログはいつでも「自分」と「自分と近しい境遇の誰か」に向けて書いていて、記事ごとに「誰か」は変わります。


親と良好な関係を築けている方は、どうかそのままずっと仲良くいてください。

親と良好な関係を築けない方は、どうしよう。一緒に楽しい話でも探しましょうか。親ガチャに外れた者同士でしか成立しない「シニカルな不幸自慢大会」も、私は楽しめるタイプです。



んじゃまた。