ここ数年の中でも断トツのインパクトを与えてくれる本と出会ったので、感想や考えたことを書き殴らせてほしいのです。こんにちは、どぶのごみ子です。
本のタイトルは画像にある通り「池袋母子餓死日記覚え書き(全文)」といいます。
そして気になる本の内容は、もはやタイトルそのまんま。
池袋(に住んでる)母子(が)餓死(するまでの)日記。ベリーベリーヘヴィ…。
そんなにページ数の多い本ではありませんが、毎日コツコツ読んで、なんと読み終わるまでに一ヶ月かかりました。
なんていうか、一日に大量に読み進めるには心が痛む本です。
・どうするのが正解だったのか
・もしも自分が同じ立場ならどうするのか
なんてことが読了後もぐるぐると脳内を占拠し、居ても立っても居られないので、ブログで取り上げた次第です。ハイ。
池袋母子餓死日記覚え書き(全文)とはこんな本
1996年4月、池袋にあるアパートの一室で、77歳の母親と41歳の息子が餓死した姿で発見されました。
その部屋には大量の日記が残されており、その日記の1993年12月24日から遺体として発見される直前の1996年3月11日までを収めたのが「池袋母子餓死日記覚え書き(全文)」です。
基本的に日記に登場するのは70代の母親と、何かしらの病気で寝込んでいるアラフォーの息子のみ。
旦那さんとは、母子が亡くなる4年前に死別しているらしく、2人にとって「頼れる人」や「相談できる人」は誰もいなかったようです。
母子の金銭事情
池袋母子餓死日記覚え書き(全文)は、本文最初のページから最後のページまで、とにかくずっとお金がありません。
母親と息子は2ヶ月に一度振り込まれる母親の年金8万5650円だけを頼りに、ギリギリの生活を送ります。
しかし、池袋という場所もあり、2人が住む家の家賃は月々8万5000円。もうね、この時点で大赤字なわけです。
となれば当然2人の生活は貯金を切り崩すしかなく、結果的にギリギリのさらに上をいく「超ギリギリ」の生活に身を投じることに。
たとえば驚いたのが日記のこの部分。
私は、おき立ちよりふらつき、むかつき、朝食の時はきけがしたところみみず色したはしほどの太さで二〇センチ以上ある虫が出て、後で又みみず位で二〇センチ以上ある虫が出た。
虫を吐くってなんぞや。
私は1990年生まれなので、一応この2人と微かに同じ時代を生きたわけですが、生まれてこの方虫を吐いたことがありませんし、吐いてる人を見たこともありません。
この他にも2人は頭痛や発熱、血便などさまざまな体調不良に見舞われますが、いずれも「お金がない」という理由で病院に行かず、じっと自然治癒するのを待つのみ。
それだけでなく、ティッシュ購入費を節約するために服を切って鼻をかんだり、食費を浮かすために安価なスナック菓子だけで食事を済ませたりと、まさに想像を絶する生活ぶりです。
ラストが近づくにつれ生活のひっ迫度が増していく様は、読んでいて辛いものがあります。
池袋母子餓死事件はなぜ起こってしまったのか
端的に言えば、母子は生活保護を受給すれば餓死せずに済んだでしょう。
本の中で母親も「区に助けを求める」ことを何度か意識しています。
それでも最終的には区に一度も相談することなく、2人は餓死してしまったわけですが、そこに至った理由を勝手に考えてみました。
目に見えないものを信じている
お陰様で、今月も無事にすまさせて頂きまして、有難うございました。来月も、又、何かと、ご心配をおかけいたしますが、どうぞ、心配なく、生活出来ます様に、すべてで、よろしくお願いいたします。
このように、日記にはたくさんの感謝と謝罪の言葉が並びます。
自分しか読まない覚え書きに、わざわざお礼を書く必要はないのですが、どうやらこのお礼や謝罪は神様や仏様などに向けられたもののようです。
目に見えないものに対して篤い信仰を寄せるわりには、目に見える他人は信用しておらず、結果正しい判断ができていない場面が多く見受けられます。
自分なりの「尊厳」を守った結果
区役所等に、たのんでも、私共は、まともには、世話してもらえないし、どんなところに、やられて、共同生活をしなければ、出来ないかを考えると、子供も私も病気で苦しんでも、だれも、分かってもらえそうにないので、今の自由のきく生活のままで、二人共、死なせて頂きたい、
区に相談したり、生活保護を受けたりすることに対し、何か解釈違いを起こしているきらいもありますが、最後の「自由のままで死にたい」というのは母親のプライドのようにも感じられます。
共同生活を強いられるかはさておき、区の助けを受ければ確かに「現状維持の暮らし」は送れないでしょう。
生活保護制度が人間の尊厳を無視しているとはいいませんが、母親は現状を受け入れるのと引き換えに、自由の権利だけは手放したくなかったのかもしれません。
池袋母子餓死日記覚え書き(全文)を読んだ感想
お金がなくなる恐怖に怯えながらも自由を尊重し、結果的にお金が尽きて死ぬという、とてもシンプルかつヘビーな一冊でした。
母親は本の中で何度も「このまま死なせてください」「早く死なせてください」と書いています。
誰が見ても最低極まりない暮らしでも、自分なりに自由に生きているという矜持があった手前、2人の人生を「助けを求めればよかったのに」という一言で片づけることはできません。
また、人間なんて誰でもちょっとしたことで躓くのだから、いつ自分が同じ状況になり、誰かや何かを信じることができず、正常な判断力をなくしてしまう可能性だってあるわけです。
ちなみに、本の中ではよく池袋の通りの名前などが出てくるのですが、池袋にはかつて少しだけ住んだことがあり、尚且つまあまあ近所だったっぽくて、そこもさらに親近感が湧いて困りました。笑
「人が人らしく生きる」って一体?
んじゃまた。