嫌われてもいいという考え方は、あくまで「しゃーなしの消去法」で、卒のない人付き合いにおける「適切な対処法」ではないと考えます。こんにちは、どぶのごみ子です。
「仕事で皆から嫌われてもいいんだ。全然気にしない」
と堂々と宣言する人、宣言しないまでも態度の節々に表れている人に、これまで何度か出会いました。
個人的に、仕事で嫌われてもいいという意見には同意します。
好かれようと行うムリな努力はだいたい徒労に終わりますし、こちらだって仕事場の人全員を好きになることはできません。
だから、他人に気を使いまくって自分を殺す必要はどこにもないのです
…が、それは仕事場にいる人間を一切顧みないことでもありません。
暇人の私が「仕事で嫌われてもいい」と言う人を勝手に観察しまくった結果、その人たちが辿りつく先は全く別個の二手に分かれているように思いました。
ということで今回は「仕事で嫌われてもいいって思うのは自由だけど、安易な嫌われる勇気は身を亡ぼす」がテーマです。
仕事で嫌われてもいい理由
自分に好意的な人とだけ働ければ万々歳ですが、そうじゃないのが現実。
しかし仕事で誰かから嫌われたからといって、過剰に落ち込む必要もないと思うのです。
全員とは仲良くなれないから
仕事場の人数にもよりますが、よほど少人数の職場でもない限り、従業員全員と仲良くなるのは不可能です。
人間だけに限ったことではなく、動物には一様に「気性」があり、だからこそ「相性」があります。
良し悪しはこの際置いといて、気性を持つ人間である以上、誰かを嫌ったり嫌われたりするのは仕方のないことといえるでしょう。
面倒事が減るから
嫌われるのも正直気持ちのいいものではありませんが、自分が苦手とする相手から好かれるのもわりと困ります。
よって、嫌ってくる相手のことが自分も嫌いなのであれば、そのまま嫌われていたほうが面倒事が減って結果的にいいこともあるのです。
ムダな絡みが減るので仕事がしやすくなるケースも多く、嫌われることで得られる大きな利点といえます。
気が楽になるから
一緒に仕事をする人は、無条件に受け入れてくれる家族でも、何でも笑って流してくれる友人でもないので、最低限の気遣いやマナーは欠かせません。
ですが「好かれなきゃ」と思って気を使ったり、相手が望む自分でいるために気を張ったりすると、気力の過剰浪費で心がゼェハァ疲れます。
嫌われてもいいと考えているからといって、自ら嫌われに行くような言動に出る必要はありませんが、そう考えて逃げ道を用意することで「嫌われてはいけない」というプレッシャーからは解放されるはずです。
多くの仕事は長く続けることが前提となっているので、気楽に働くための思考は持っていて損がありません。
やりづらいだけで仕事は回るから
確かに好きな人と信頼関係を結んでやる仕事には、謎の「達成感」とか「意気込み」が溢れだし、働く意欲を結構底上げしてくれます。
そしてその結果、すごーくいい仕事ができちゃったりするのかもしれません。
でも別に、働く意欲とか達成感とか仲間との絆とか、そんなもんなくたって仕事はできる。
仕事をしないとご飯が食べられないなら人は働くし、仕事の手順さえ理解すれば嫌いな奴ら同士で組んだってとりあえず仕事は回るのです。
さもしいと言えばそうですが、皆が皆プロジェクトXみたいな仕事ぶりでもなければ、会社だって「ただ仕事を回すだけのコマ」を欲していたりもするので、状況によっては嫌われても仕事において困ることがありません。
納得できないことに付き合わなくていいから
丸投げで出される指示に舐められて押し付けられる仕事、謎に付き合わされる残業があるかと思えば意味の分からない名目で集められる飲み会…。
もはや「理不尽」と書いて「しごと」と読みそうな勢いの出来事が、職場には溢れていますが、嫌われてもいいと思えばそういった『納得できないこと』にエネルギーを使わず済みます。
もちろん、納得できなかったり理不尽だと感じたりする「明確な理由」がある時にしかやってはいけませんが、好かれるためにムリして自分を偽る必要はなくなるはずです。
仕事で嫌われてもいいと言う人間には二種類いる
とはいえ、我々凡人が「仕事で嫌われてもいい」とあけすけに語るのは危険な行為です。
というのも、仕事で嫌われてもいいと言う人を見ていると
- ちゃんと周囲から認められる人
- ガチで誰からも嫌われまくる人
の二つにきれいに分かれてしまうから。
そして「ちゃんと認められる人」になるためには、芯やら筋やら頭のキレやらが必要で、そんじょそこらの凡人が手を出せば、高確率で自制が効かなくなるのがオチです。
結果「ただのワガママな人」として職場で嫌われまくり、あなた自身も仕事がやりにくくなるでしょう。
じゃあ一般ピーポーはどうすりゃいいんだよ!というのはこの次の項目で考えるとして、まずは「仕事で嫌われてもいい」と言いつつ認められる人と、ガチで嫌われまくる人の特徴をサクッとお伝えします。
ちゃんと周囲から認められる人の特徴
仕事ができる人が多いですが、できない人もいます。どちらの場合でも話には筋が通り、何となくカリスマっぽい人がこのタイプです。
仕事には協調性がある
認められる人は、仕事に必要な協調性は保ちます。
相手の仕事は尊重しますし、自分の仕事もきちんとこなしますし、必要とあれば誰とでも会話したり協力できたりするのです。
勤務態度には全く問題がないどころか、何ならいると仕事がうまく進むので、嫌われてもいいという本人の意思とは裏腹に人望を集めます。
言動にブレがない
認められる人の言動や指示には、ブレがありません。
自分の個人的な感情でコロコロ言うことを変えないので、周囲はその人を嫌いになる理由がないのです。
本人は嫌われてもいいからと思い通りに振る舞っているつもりでも、話の内容や言い方、態度にムラがないので、周囲からは「ただ正直な人」とだけ評されて終わります。
嫌われてもいいと考える目的がある
認められる人は、基本的に嫌われてもいいと考える明確な目的があります。
その目的は売上アップ、成果を維持して仕事量を減らすなど、最終的に職場全体に利益をもたらすことも多く、もうこうなると周囲はその人を認めざるを得ないのです。
目的や結果が見えるまでは周囲から悪い印象を持たれることもありますが、最後は多くの信頼を集め職場のエース的存在になることも。
ガチで誰からも嫌われまくる人の特徴
仕事はできませんが、本人はできると思っています。また仕事能力以上に本人の癖が際立ち、往々にして扱いに困るのがこのタイプです。
自分勝手なやり方で仕事をする
嫌われまくる人は、自分本位なやり方で仕事をします。
やりたくない仕事は誰かに押し付ける、自分独自のやり方で業務を混乱させるなど、他人への迷惑を考えず自分の都合だけを考えるので、必然的に周囲は離れていくでしょう。
そんな人が嫌われてもいいんだと言えば、周囲の反感を煽るだけであり「じゃあ希望通り嫌ってやるよ」という結果に落ち着きます。
自分の感情を優先させる
嫌われまくる人は、自分の感情が最優先です。
最初はそんなことなくても次第に「嫌われてもいい」という言葉が全ワガママの免罪符のように思えてきて、仕事に必要な会話さえ個人的感情を理由に怠ったり、特定の人物に対してだけ攻撃的になったりします。
仕事では嫌われてもいい!と凡人がのびのび振る舞って嫌われまくるのも、これが原因であるケースが多いです。
ただひたすらに扱いが面倒
嫌われまくる人の中には、嫌われてもいいという言葉の裏に色んな願望を隠している人も少なくありません。
たとえばこんな願望。
- 「嫌われてもいい」と言うことで、周囲から「嫌われてないよ」と言われたい
- 「嫌われてる自分」に酔っていて、周囲から可哀想とか特異だとか思われたい
- 「嫌われてもいい」とアピールして、周囲に強い自分を印象付けたい
願望を空気に乗せてこちらに対応を要求してくるため、そりゃもう果てしなく扱いが面倒臭いです。
当然ですが、見え透いた願望は周囲をドン引かせるだけなので、ただ嫌われまくる末路を辿ります。
嫌われてもいいと考える私はどう仕事をするか
大した魅力もない凡人が易々と「嫌われてもいい」なんて言えば、多くの場合でひんしゅくを買い、そのまま嫌われまくるでしょう。
確かに「嫌われてもいい」とは考えているものの、それはあくまで「嫌われても仕方ない」的な意味であり、断じて「嫌われるのって最高!嫌われまくりウェルカム!」という意味ではありません。
そもそも職場中の人から憎まれる嫌われ者になればただ仕事がやりにくくなるだけで、メリットなんてないのです。
とはいえ私も、カリスマ性もなければ特段仕事ができるわけでもない、一介の凡人。
そこでここからは、凡庸な人間が仕事で嫌われてもいいやと思ったとき、どう振る舞うべきなのかを考えてみます。
嫌われてもいい感情は隠し通す
嫌われてもいいという気持ちを言動で示すから、周囲から認められたり嫌われたりするのです。
ならいっそ、仕事中は嫌われてもいいという気持ちを隠してしまいましょう。
一抹の愛想笑いとおべっかが必要なシーンもありますが、嫌われてもいいという考え方は、ありのままの自分を他人に押し付けることではないので、そこはもう辛抱。
仕事で落ちこぼれない
仕事は、多少ムリしてでもほどほどの出来を目指してください。
なぜってそんなもん、嫌われてもいいと考える相手に自分の尻を拭ってもらうのって、格好も居心地も悪いですから。
しかし反対に仕事ができ過ぎる人は、あれこれ用事を頼まれ手足のように使われる場合もあるので、上手に能力をセーブすることをおすすめします。
仕事場での人付き合いは控えめに
仕事場で盛んに人付き合いをする人が、特定の人物にだけそっけないと、そっけなくされた相手はもちろん周囲も「おや?」と思います。
よって、仕事場での人付き合いは、全体を通して控えめにするのが理想的。
もとより「好き」や「嫌い」なんて気持ちは、人付き合いをすることでさらに勢いづくので(たまに「生理的にムリ」とかいうどーしようもないのもあるけど)、人付き合いそのものを減らせば過剰に誰かから嫌われることも、苦しいほど誰かを嫌うことも減るはずです。
「仕事で嫌われてもいい」は他者を切り捨てる呪文じゃない
「嫌われる勇気」という便利な言葉がありますね。
いざというとき、きっと背中を押してくれる勇気を持つことは、悪いことではありません。
ですが勇気は、使いどころが超重要。
世の中には「嫌われてもいいから自分に都合の悪い話は聞かねえ!嫌われる勇気を使ってやるー!」つって他人をバッタバッタ切り捨てる人もいますが、ああいった自称勇気の本名は独善です。
嫌われてもいいという考えはあくまで心の防御策の一つであり、仕事場における最低限の対応をしても嫌われた場合に限り心から「まあいいや」と思うくらいでちょうどいい。
人間には相性がありますし、中には人を嫌うことを生きがいにしているような人間もいるので、誰からも好かれる人間になることはできません。
さりとて皆が皆、嫌われてもいいからと仕事場で自由気ままに振る舞えば、何つーかそこはもう地獄。
考えることと、実際に考えを口にすることには、天と地ほどの差があります。
「嫌われてもいい」という思考が、あなたの無茶のストッパーになれば最高だと思うのです。
んじゃまた。