「全員がお友達だから、みんなと仲良くしようね。」みたいなことを晴れやかな笑顔で言ってくる先生に
「嫌だね!うさぎ組全員とお友達なわけないじゃん!!!」と食って掛かった私。当時5歳。
「人によって態度を変える人間は性格が悪い。」みたいな意見に対し
「うるせえ!全員に優しくしたら私の優しさが枯渇しちまうっつーの!!!」という記事を書こうとしている私。現在29歳。
ということで幼少期から成長のない、どぶのごみ子です。
今回のテーマは「人によって態度を変えるって当たり前じゃないの?そんなに悪いことしてる?」です。同志に届け。
人によって態度を変えるのは当たり前
心の広さがおちょこ一杯分と言われようが、私は人によって態度を変えます。
自分が実践しているくらいですから、人によって態度を変えることが悪いことだと思う気持ちは微塵もなく、むしろ当たり前だと思っています。
私はそんな奴です。
人によって態度を変えることは目的を達成するための手段に過ぎません。
使える手段があるなら使うのは至極当然のこと。
態度を変えられて当たり前の人種っている
また、残念ではあるけれど、他人の優しさに付け入って卑しさを発揮する人っています。例えば
- 面倒事を押し付けてくる人
- 自分は何も差し出さないのにクレクレな人
- 自分の得ばかりを考える人
こんな感じの人。クラスとか会社に1人2人はいますよね。
他人を思いやることができない人とも言えます。
思いやりに欠けた人を、思いやりに満ちた人と同じように優しい態度で接する必要ありません。
そもそもギブアンドテイクの人と、テイクアンドテイクの人が平等の扱いを受けるだなんて、最高に不平等な話なわけで。
他人の優しさにあぐらをかいてる人より、他人の優しさに感謝できる人に親切心は芽生えるもの。
思いやりのない態度の人に対して、こちらも一線引いた態度を取るのは当たり前です。
人によって態度を変えると人間関係に悩まない
同じクラスのみんなと仲良くすることが美徳だと教えられ、友達100人つくることを目指す歌なんぞを口ずさんだ経験って、私含め多くの人にあると思いますが、
知人に毛が生えたレベルの人が100人いる環境と、気心が知れて信頼できる人が1人いる環境なら、私は間違いなく後者を選びます。
人間関係の幸福度は、周囲の人の数より質で決まると考えているからです。
自分にとって必要な人、必要じゃない人を取捨選択して、人によって態度を変えると周囲は自分の信頼できる人だけになります。
大きなコミュニティに属することはできませんが、中途半端な関係性の人がいないため、無駄な人間関係トラブルに巻き込まれることもありません。
「人によって態度を変える」と「人を攻撃する」は違う
人によって態度を変えるというと、好き嫌いが激しくて、攻撃的な性格だと思われがちです。人によって態度を変えることと相手を攻撃することはイコールではありません。
しかし、人によって態度を変えることと、人を攻撃することはイコールではありません。
当然顔を合わせたら挨拶する、必要な会話はきちんとこなす等、人として最低限のラインは守るべきです。
人によって態度を変えることは意見を変えることでもない
たまに「人によって態度を変えちゃうの~」と言いながら、自分の意見まで人によって変えてる人を見かけますが、「人によって態度を変える」ことと「人によって意見を変える」ことは違います。
態度とは、言葉遣いや表情、そぶりであって、意見とは別物です。
小さな意見の食い違いに「私は違うと思います!!」といちいち食って掛かる必要はありませんが、過剰にヨイショするのもおかしな話です。
というか、人によって意見を変える行為は、人間関係を取捨選択するどころか、人からの信頼度を下げ、面倒事を呼ぶだけです。
人によって態度は変えるべき
人によって態度を変えるのは悪いことだ、という意見があるかと思いきや、八方美人がいいというわけでもないらしく、本当に人間関係ってめんどくさい難しいですね。
結論、心の底から万人に優しい人、というのを人間は求めているようにも思えますが、私は今までそんな都合のいい人間に出会ったことはありません。
優しさは目には見えませんが、無駄遣いすれば確実に減ります。
自分にとってマイナスになる人と我慢して関係を続けたり、ムリヤリ取り繕って優しくしたりすると、くさくさした気持ちになるもんです。
その心理状態は、誰かに心を配る優しさをいとも簡単に奪っていきます。
最低限の気遣いはどんな人にもかけるべきですが、人によって態度を変えることは悪いことではありません。
優しさの大安売りは自分が損をするだけ。
自分を大切にしてくれる人だけを大切にしていけば、それで充分幸せな人間関係を築けるはずです。
ではまた。