もはや「どうやって楽して生きてやろうか」と考えることが生きがい。こんにちは、どぶのごみ子です。
人生に夢も希望も持っていない私ですが、唯一「楽に生きたい」という野望だけは常に持っています。
だって、ギリギリまで頑張らなきゃいけない理由なんてどこにもないし。
もちろん、好きこそものの上手なれで、大きな苦痛なく頑張れるなら勝手に頑張ればいいのです。
ただ、ヘトヘトに疲れ果ててまで自分の人生を頑張って生きようだなんて、全く思いません。
人生なんて、楽に生きたから報われないとも、頑張って生きたから報われるとも限らない。
ということで今回のテーマは「全人類がそうであれとは言わないけど、少なくとも私は私のために楽に生きる道を模索する」です。
楽に生きることを模索している人と、一緒に考えられたらなと思います。
楽に生きることが悪いことだなんて思ってやらない
楽に生きたいと言うと「悪いことだ」「ズルい生き方だ」と言われることもありますが、私は楽に生きることが悪いことだとは思いません。
そうでなくても人間は、楽を追求する生き物です。
自分の足で歩くよりもタイヤを転がしたほうが楽だから車が生まれたし、ホウキで掃くより吸ったほうが楽だから掃除機が登場した。
楽を追求したから人間の暮らしはここまで豊かになったのに、個人の生き方は楽しちゃいけないなんて、てんで理屈がわからない。
そもそもね、生きることの大半が面倒事の嵐です。
どれだけ楽に生きようとしたって、面倒事0%の人生は送れません。
ならせめて「できる限り楽に生きよう」と考え追及するくらい、いいではありませんか。
でも楽に生きることも意外と楽じゃない
とも思うのです。
だって「楽に生きる」って概念が広すぎるから。
例えば、お金があることで心が豊かになり楽に生きられる人もいれば、お金がなくても時間があれば楽に生きられる人もいて、さらに言うとそのお金の金額にも個人差があって、とにかく「楽さ」のバリエーションの豊富さったらきりがない。
自分は何が嫌で、何がしたくて、それは本当に実現可能なことなのか。
このへんを明確にして「自分なりの楽な生き方」を見つけなければ、結局は楽じゃなかったりします。
私なりの楽な生き方とは
自分なりの楽な生き方なんてよくわかんないよ…と心が折れそうになったとき、私はよく他人の生き方を参考にします。
そこで、誰かの参考になればと楽に生きると決めた私なりのマイルールを紹介してみることにしました。
仕事はやりたくないことを回避する
労働そのものが嫌いです。
働かずに済むのなら、全然働きたくありません。
しかし働かずには済まないので、できるだけ嫌なことをせずに済む仕事を選ぶようにしています。
苦手なことが業務に組み込まれている仕事を選べば、嫌でも苦手に向き合わなくてはいけないので、最初から苦手なことが少ない仕事を選びます。
どうせ「やりたい仕事」なんてないので「絶対にやりたくない仕事」を洗い出してそれを徹底的に除外するのが、私の仕事の探し方です。
お金は高望みしない
お金持ちにはなれません。
そもそも労働が嫌いなのに、お金だけ求めるのも都合のいい話だと思います。
私は幼少期超絶貧乏な暮らしを味わったので、お金がないことはとても辛いことだというのは理解しているつもりです。
ですが、我が家はその後少しお金が入ったのに家庭崩壊が起こったので、お金があるからといって幸せとは限らないという考え方も捨てられません。
お金は、借金したり誰かの世話になったりしなければ、低収入でもよし。
これが、私のお金に関するマイルールです。
最低限普通の暮らしを送るには月15万円くらい、ちょっと楽しみを追加していいなら月20万円くらいあれば、私は十分楽しく暮らせます。
人間関係は愛想オンリーで乗り切る
人間関係は、あんまり得意ではありません。
大して仲良くない人と世間話をするのも、腹の内を探られるのも、犬も食わない愚痴を聞くのも、派閥に組み込まれそうになるのも、全部まとめて面倒なんです。
とはいえ、いい年をした大人が子供みたいにツンツンするのもいかがなものかと思うので、回避したい人間関係は全てヘラヘラして乗り切ることにしています。
自分が苦手な人から「バカなのかな」「ちょっと変わった人だな」と思われればこっちのもん。
特に、人間関係を避けたくても避けることができない職場では、バカキャラが超絶役に立ちます。
図々しさを持つ
究極に楽な生き方は「図々しく生きること」だと思います。
なぜなら、楽に生きることで人とは違う選択を選んでしまったり、時には人から後ろ指を指されたりすることもあるから。
迷ったときや孤立したとき、多少の図々しさを持ち合わせていれば、ダメージを最小限に抑えることができるはずです。
もちろん「私は楽に生きたいの!わかってよ!」と周囲に自分の生き方を押し付けるのは図々しいを通り越して痛々しい人になりますし、集団生活をするうえで定められているルールはある程度守らなくてはいけません。
ですが、それ以外の個人の生き方やプライベートな決断なら、図々しく生きたほうが楽です。
私も、悩んだときはよく「私は図々しい人間だ、好きに生きろ!」と自分で自分を鼓舞します。
人生に希望を持たない
楽に生きることを追求し、極力努力しない生き方を選んだ責任として、人生に変な希望は持たないようにしています。
未来は現状から格段に良くなることはなく、それどころか現状維持できれば御の字。
誰かが何とかしてくれるとか、自らの力で切り開くとか、時代が大きく動きだすとか…、もはや「経験」っていう手垢がついた心では、そんなものに縋っちゃいれません。
こんなことを書くと、何だかものすごく自分の人生に悲観している人みたいに思われるかもしれませんが実際はそうでもなく、
生きることにそこまで前向きではない私は、とりあえず普通に生きてるだけでめちゃめちゃ偉い。
と思っています。常にどう転ぶかわからないような人生なので、流されつつも生きていくとただ開き直っているのです。
苦しみながら頑張るくらいなら楽に生きればいいよ
いくつかのマイルールを紹介しましたが、正直なところいつでも「プール終わりの6限目」みたいなダルいテンションで生きる私に、明確なルールは存在していません。
だって「絶対にこうするべき」というガチガチなルールは、楽な生き方に似合わないじゃん。
なので私も「こっちのが楽じゃん!」と思う生き方が見つかれば、いつでもぐるんと方向転換するつもりです。
「楽に生きるなんて甘い生き方は悪いことだ」という意見だってもちろんあっていいと思いますが、楽さを排除して頑張りすぎた結果うっかり死にたくなっても「自業自得」という言葉で片づけられるのがオチ。
ならもう、何の生産性もなくていいから楽に生きればいいよ。
『気づけば生まれて、そこそこ食って、いっぱい寝て、ただ繰り返して、時期が来たら死ぬ』。
この超絶ざっくりとした生物形態さえこなせば、最低限正しく命を使ったことになると個人的には思っています。
私もまだまだ楽な生き方模索中の身ではありますが、楽な生き方を模索する同志であるあなたが、楽に生き延びてくれることを願っています。
んじゃまた。